自分らしさって、なに?
いま、素直に生きている??
“素直に、何も隠さず、自分を曝け出すこと”
の大切さと、難しさを感じている。
ポジティブな意味で、悩むきっかけを
与えてもらえた。
2021.9.12 12:59 場所:コメダ珈琲店
昨日の記事で書いた通り、
昨日はジムの会員さんと合トレ・サウナ・飯に行ってきた。
1対1で出かけることが久しぶりすぎて、
男二人で語り合うことが久しぶりすぎて、
感じることがたくさんあった。
めちゃくちゃ良かった。
その中でも特に感じたこと。
”いまの俺は、
素直に・自分らしく生きられているの?”
ということだった。
ジムではなるべく会話せず、
ただ黙々と自分と向き合い、
夢中になって筋トレに打ち込む自分も、
ブログやSNSで、
側から見れば意識高い系と思われるような
ことを語る自分も、
こうやってネチネチと、感情・思考について
考察する自分も、
”まじで、最高の人生にしたい”
と思う自分も、
支えてくれる人たちのために心の底から
恩返したいと思う自分も、
一人の時には超考え込んでしまって
思い悩んでいる自分も、
たまに疲れちゃって自暴自棄になる自分も、
自分にも他人にも甘えたくなって
弱くなってしまう自分も、
”もっとかっこよくなりたい”と思う自分も、
”バカみたいに騒ぎまくって、
腹抱えて笑い合いたい”と思う自分も、
”金持ちになりたい”と思う自分も、
”人から好かれたい”と思う自分も、
”人生って美しいな”と思う自分も、
全て、ありのままの自分。
全て、嘘偽りのない本当の自分。
それなのに、いまの自分は、
【会社の時とジムの時】
【SNSと現実】
魅せる自分を使い分けてた。
無意識のうちに、
その場その場で、違う顔を魅せていた。
それに、気付いた。
そして、
そんなことしなくていいやん。
使い分ける必要なんてないじゃん。
って、思った。
“人の数だけ、価値観がある。”
“自分は自分でいい。”
これを伝えていきたいはずなのに、
そもそも自分自身が体現できていかなった。
「この場面で、この自分は出さなくていいや。」
とか、
「自分を常に曝け出して、
否定されるのは嫌だし。」
とか、
「嫌われたくないし。」
とか。
そういう思いが、
無意識のうちに募っていたんだと気付いた。
すぐには変えられない。
でも、少しずつでいいから、
常に自分を出せるような人生にしたい。
それが、
“本当に自分の生きていきたい姿”でしょ?
この問いに対して、
自分自身が、”YES!”と言うのだから。
人生一度きり。
まじで、最高の人生にしよう。
本日も、最後までお読みいただき
ありがとうございました。
曝け出していきましょう。
僕も、頑張ります。
おわり